競争社会と多民族国家_1(NY滞在紀行)

 
こんばんは、本田蒼風です。

NY滞在本当の最終日、今日は朝早くから移動だけで終わります。

14時間のフライト、どうやって過ごすか考えながらいる
現在、NY時間でam5:00

12時から4時間ほど寝たのですが、

まっ、飛行機でも散々寝るし…と思ったこともあり、

少し眠りが浅くなったのでこのまま起きていることにしました。

さて、今回NYへ来て、

本当に色々なことを「身体全体で」感じました。

ひとつの要因としては、

特に何をする!!という目的の為に来た側面より、
今回に関しては、完全に「ぶらり一人旅」という側面が強かったせいでしょうか。

東京で過ごすのとあまり変わらない生活を、
あえてこちらでしてみたら、何に気がつくだろうか。。ということを
考えてみたかった(直感的に)というのが
本心だったと思います。

さて、空港まで向かう移動まであと数時間となった今、

このBlogに書き留めておきたいこと(これは本田個人の心を記録するために)は
何かを考えていました。

3週間過ごした日々を思い返し、

見えた景色や聞こえた音、声、人々の表情、出逢った人たちとの会話…



沢山有りすぎますが、

特に印象が強かったことを書残しておきましょうね。

一番は「多民族国家(アメリカでも全地域ではなくNYが飛びぬけて)」であること。

私は3週間NJ(ニュージャージー)州にホームステイ先を見つけ
滞在させてもらっていました。地図でいうとマンハッタンに向かって左側です。

川を挟んでお隣の州になるわけですが、

そこから高速バスにのって(片道$4,50 10枚チケットだと$3.90でちょっと割安)大体40分くらいかけてマンハッタンへ行きます。

滞在中の3分の2くらいはマンハッタンへ出ていたので、
かなり多くの時間を、
私はこのバスの中で過ごしたわけです。

その中で聞こえてきた会話、感じた雰囲気はとても楽しく、色々な気づきをくれました。

まずひとつは「会話をしている言語」

同じバスの中から、ざっと聞こえてくるだけでも3〜4ヶ国語は毎日聞こえてきました。

私は日本語と、辛うじて英語・・・の2言語しか話すことはできませんが、
聞くことは好きで、大体どこら辺の言語かはイメージできるのですが、

フランス語、ポルトガル語、韓国語、中国語、マレー語、
あと、厳密にはわかりませんが、お洋服の感じと上記にない感覚の発音たちということで、
(多分)アラブ地域で使われているだろう言語・・・

とまあ、本当に多種多様、なかなか日本でこのシチュエーションはないわけですが、

ほぼ毎日そんな言語が氾濫するバス内で、非日常感を楽しんでおりました。

あっ!!!これは絶対に書いておきたいのですが、

NYへ来て、何が一番びっくりしたかというと、
食べ物でも、民族間の習慣の違いでもなくて、

「公共の乗り物が時間通りにぜ〜んぜん来ない!!!」

という衝撃です。
本当にびっくりするくらい適当です。
一応時刻表はありますが、全くといっていいほどあてになりません。

気まくれで走らせているのではないか??と思うほど来ません。

NYはこの時期、一気に冬へと季節が変わっていくので、
私の滞在中も「最高気温1度」とか言う日があったくらいか〜なり乾燥していて寒いのです。

そんな中、平気で30分とか待たされました。(時刻表どおりだったら本数が少ない時間でも15分間隔でくるはずなのに・・・)

手足は完全に冷え切り、耳もいた〜い。

だからといって、到着したバスは「すみません、遅れました」の一言もなしです。

皆会話しながらとか、音楽聞きながら、
ただひたすら「いつくるか分からないバスや地下鉄」を待ちます。

最初はとにかくびっくり。

「えっ、さすがに是はクレームもんでしょ??」と思ってしまいますが、

私以外の皆さんはぜ〜んぜん気にしていない様子。(当たり前なのでしょう。)

外国の人=日本人より意思をはっきりいう(比較的早くキレ口調になる・・・)

という偏見を持っていた私は、

「わお!!!完全に私の偏見だった」と反省をしたのでした。

まあ、実際バスで聞こえてくる会話(電話とかも平気でかけていいようなのですが)
一回に一人くらいは口論みたいになっている人とか居ました。www(またこれが威勢がよく、さらにリズミカルな口調なもんで、聞いていて当事者でない私には楽しいのですが・・・)

で、話を戻すと、

そんな不定期、気まぐれな公共機関には、
皆様かなり寛大な対応をするわけです。

で、ホスト先のお母さんやお父さんや娘さんたちとお話しているときにこの話題を出してみたときのこと。

本田「NYは本当に公共機関がきまぐれな感じだね。みんな困って怒ったりしないのかね?」

Julia「本当に酷いわよね〜www まあ、それが当たり前みたいになってるから。ww
それに、運転手は運転手の時間で過ごしているからね、私の時間感覚で過ごしているんじゃなくて、彼らの時間感覚でね(^^)」

はは〜・・・


そこはそれでいいんだ。


と思いました。

確かに、運転手の方は
毎日違っていて、お顔立ち、雰囲気、性別も、本当に多種多様。

そんな小さな空間にできた「多民族空間」では
彼らなりの「折り合いのつけ方」が成立していたのでした。

どんなに遅れてきて、こちらが寒い思いをさせられたとしても、

降りるときには皆運転手さんにむかって

「Thank you! Have a good day」などと声を掛け合うんです。

そこには「安全に私たちを運んでくれてありがとう」というような雰囲気で。

何だか本当に驚いてしまいました。

バスや地下鉄は特にそれを顕著に感じましたが、
日常生活でも、日々そんな風に「ありがとう」の声を掛け合う姿を目にします。

これだけ世界中色々なところから人が集まる国(都市)では、
日本とは違った価値基準が存在するのかもしれない・・・

そう思いました。

バスの運転手さんが最優先すべきことは「安全に目的地まで人を運ぶこと」

サービスとしては時間通りに来てくれないと「嘘じゃん、これ」という気はしますが、

でも「最優先事項」はこれ。

で、

お客さんの目的も、

「目的地までバスで運んでもらうこと」

なんですね。

最低限、そして最優先事項でお互いのニーズは合致しているわけです。

2つ目以降の目的は、合致すればラッキー!みたいな。www

もともと育った土壌、感覚が全然違う人と「全部ちゃんとキチンと)そろえよう」ということ自体、それは無理よ〜ということなのかもしれません。

それはこんなに小さな「日本」という国の中ですら

「沖縄時間」「北海道時間」などといわれる

いわゆる一般的な感覚とは別の「特別な時間感覚」が存在するわけですから・・・
(もちろん日本では、こちらほど社会的にそれを許容しているわけではありませんが)


そんな中で過ごそうとするときに大切になるのが

「折り合いのつけ方」です。

先ほど「様々な言語が飛び交うバスの車中」の話を書きましたが、

ここにも独特の「折り合いのつけ方」を見ました。

あるご婦人がバスに乗り込んで
しばらくして突然周囲にいた他人(乗客)に話しかけました。

「このバスって最終的にはどこに泊まるの?」

辛うじてそう聞き取れます。

まず一人目は「たしか、42stのバスターミナルだった気がするけど・・・」的なことを
自信なさげに、
しかもラテン語なまりが強い英語で返しています。

でもその「ラテン語なまり英語」が、そのご婦人にはうまく聞き取れないようで
「はっ??何ですって?」と何度も聞き返します。

その聞かれた人が何度も繰り返していると、

他の乗客が「彼女は42stが最終停留所じゃないかっていってるよ」と口ぞえをします。

それもまたフランス語寄りの英語で。

ただ今回はご婦人も聞き取れたようで、

「あ〜そうなのね。ありがとう」と笑顔。応えた2人も超笑顔。

【一緒に問題解決できてよかったね】的な感じ。

その話題が始まってから終わるまでの所要時間 およそ一分程度。

私は「私が聞かれたら、どう応えればいいんだっけ!!」とちょっとそわそわしながら、
終始その会話のやりとりを聞いていた訳ですが・・・

ねっ、凄く面白くないですか?


お互い「英語」話しているのに、通じてないんです。www

だけど、通じさせようと頑張る。
また意思疎通ができるまであきらめない。
協力者まで出た。

NYへ来て出逢う人たち(お店の店員さんや、たまたま知り合った人も含め)

確かにいわゆる学校で習ったような「アメリカ英語」という英語を聞いたのは意外に少なかったかも。

なんとな〜く「ほかの国の言語を思わせる発音の英語」という感じ。

多分、私も「日本人が話す英語」と思って聞かれていることでしょう。www


結論:

人と繋がる方法は「言語のできるできない」はさほど問題じゃない!

通じるまであきらめない心と、通じさせる根気だ!!!!




と、私の中ではそう結論づいたわけです。

私のホームステイ先のJuliaさん宅でも、「英語!!」という英語ではありませんでした。

その代わり。。。といったら変かもしれませんが、

家族全員3ヶ国語が自由に話せます。

英語、スペイン語、ギリシャ語


(お母さんがもともと子供時代から言語感覚が非常に多才な子だったようで、生活している中で聞こえる言語に端からぜ〜んぶ興味をもって、モリモリ勉強して、いつの間にか話せるようになっていた・・・ということ。で子供たちにも、時には英語で、時にはスペイン語で話しかけるものだから、子供たちも3ヶ国語話すようになっちゃった・・・という話。www)


とまあ、長くなりましたが・・・

多種多様な民族が集まって成り立っているNYという街は

日本とは違うかたちの「折り合いのつけ方」があるということを知りました。

そして東京と同じように見える街のいたるところから

「Thank you」「Have a good  day」などの会話が聞こえてくるのは、

「通じにくい」状況の中で、お互い懸命に暮らす人々の「関わり方」なのだと知りました。


日本もこれから、今のままで行くと多民族国家にならざるを得ない状況がせまってくるでしょう。

そのときに、私たちは

「現状だと危惧されるのはどんな点なんだろう」「何を知っておくべきなんだろう」ということを考える機会になりました。


私は、こんな文化や人種が入り乱れたNYの街のもつ雰囲気が、
3週間経った今
大好きです。
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